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2010年11月 6日 (土)

英語ができないと舐められる。

ここしばらくの間に、英語を社用語にするという話をちょくちょく聞く。
ユニクロに、楽天、割と大手で知名度のある会社がそうだという。

私が最初に英語を社用語にすると聞いた会社は、㈱SMKだった。

あまり知られていない会社ではあるが、部品製造で全世界にトップシェアをもつ会社だ。
しかしながら、実際に話を聞いてみると
「一部のバカが、言ってるだけだ。全く必要ない」
とのこと。
その時は、私もそう思った。
日本の企業なら、日本語を社用語とし、外国籍の社員に日本語をしゃべらせるべきだと考える。
「国際化に対応を促進し、社員に英語になれさせるため」
というのは、目的として本末転倒な話である。

目的をこう変えるべきだ。
「舐められないために、英語を習得せよ」と。こういうと、会社の目的ではなく個人の目標になってしまうかな?

以前、私はインド人の友人(男)の結婚式に出席するため、インドへ一人で行ったことがある。
私自身、多少、英語はできる。
普通に英語が共通語みたいになっている国だから大丈夫だろうとたかをくくっていたのだ。

パーティの間、日本人で出席したのは私一人ということもあり、沢山の人が私のもとに集まってきて、話かけてくれた。
しかし、実際に友人の一族たちと、話をしてみると、ほとんど、彼らの言っていることがわからなかった。
ヒンディー語で話をしているのか?英語で話しをしているのか?
それすら、理解できなかった。発音が私の耳に合わなかったんだと思う。
花婿である、彼に日本語で通訳してもらわないと、会話が難しかった・・・。

それも、しばらく耳を傾けていると、何となく何をいっているのかわかるようにはなる。
でも、しゃべる人が違えば、また何をいっているのかわからない・・・
チャンネルを合わせるのに必死だった。
どうも、海外で仕事をする人の話す英語や、教養のある人の英語はなんとか聞き取れた。
だが、なまりが酷い人の話はまったくわからなかった。

それは彼らも同じだったようだ。私の言っていることがわからない様子。
それでも、身振り、手振りで会話を続けた。

しかし、ある男が私をネタにしだした。
その男は、私のことを周囲の人との会話でこんなことを言っているのを聞いた。
「あの日本人、英語しゃべれないのか?」
「何言っているか、理解出来ないぜ?」
「英語もできないなんて!」と、いやらしい顔をしていた。

その男が、私にお菓子を持ってきて、こういった。
「これはふー***と食べ物なんだ」
と言い聞かせるように行ってきたのだが、私は「ふー???」と発音できなかった。
何度か、それを繰り返すと、
「そう、フール!。お前にぴったりのくいもんだろ!」とガハハと笑い出した。

一人の少年が、私を、その男と引き離してくれたが、嫌な思いが残った。
「舐められた」という屈辱的な気持ちが、あとを引いた・・・。

インドは今でもカーストが根強くのこる国だ。
そのカーストは、彼らの名前にも刻まれており、同じ一族の中でもファミリーネームの綴りが、「 ・・・ t 」で表現したり「・・・th」 と違っていたのには驚いた。
そういう社会だから、「英語がしゃべれないなんて、なんてゲスな連中だ」と、思う人間も存在する。
そして、それはそのまま差別や、侮蔑へとつながるのだ。

「イジメ」の原因もそうだ。
「勉強ができない」、「スポーツが出来ない」、「家が貧しい」。
イジメは社会的な問題だ!という連中がいるがそうではない。「舐められる」から、そうなるのだ。
今の親は理屈ではなく、それを肌で知っている。
だからこそ、友達が持っているゲームやおもちゃを買い与えねば!と思考が働く。

人間の根底の話になるが、「舐められる」ということは社会の中で、弱者に陥るということ。
いくら、社会が発達し、高度な教育を受け、差別やイジメをなくそうとしても、絶対になくならない。
刷り込まれている、本能と言ってもいい。
実社会の中でも、それはある。「社員」と「派遣社員」の関係がそうだと言える。
社員は、「管理」を行ない、「派遣社員」は実際に手を動かしてものを作ったり、指示に従う。

また、こんな人を見たことはないだろうか?
「俺ができるのに、お前ができないなんておかしい」
という、輩。
自分をへりくだっているように思えるだろうが、これもれっきとした「能力」の差別でもある。
「俺と同じ視点で話ができないなんて、教養がないんだな・・・」
という、輩。
完全に相手を見下している発言だ。これは、団塊世代に多い。

他国の身分制度で血が流れた歴史がある国であれば、どうだろう?
「俺たちですら、英語が話せるのに、英語を話せない奴は俺達以上に程度が低い連中に違いない。」
こういう発想が働いてもおかしくない。
実際に私がインドで体験したことはこういうことだ。

アメリカ人はそんなことない!
と反論する人もいるだろう。はっきり言おう、アメリカ人はまだ優しいのだ。
あえて、こちらの会話に合わせてくれる人が多い。(そうでもない連中も多々いる)
そんな彼らも、ビジネスな話になった場合、彼らも容赦はしない。

「国際化」「国際化」「国際化」「国際化」「国際化」「国際化」・・・
と、唱えられ続けて、耳にたこができるくらいだが、実際に問題なのは「英語」ではなく、「アイデンティティ(民族性)」の問題だ。

「国際化のために英語が必要」
ではなく、もっと突っ込んで、
「舐められないように、英語を勉強する」ほうが良いと思う。

しかしながら、ただ、英語を勉強したからと言って、誰とでも会話できるか?
というとそう言うわけでもない。

それはまた次の機会に。

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