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2010年10月25日 (月)

「コミュニケーション力の高い方を求む」はNG

今年もあと、残り僅かとなりました。
まだ、電車で、新卒採用に走りまわる学生さんを見かけます。

私が就職する際も、超氷河期と言われ、今では、「ロスジェネ世代」と呼ばれるようになりました。
私としては何かを失った感じはしないのですが(笑)
企業側からしてみれば、「ロストしている世代」と言えるかもしれません。
採用を極体に減らした結果、30代の社員が少ないため、技術の継承がうまく行か無いケースも多々あるようです。
そういう穴埋めをアウトソーシング(派遣)に依存してきたわけですが、それがさらに技術力の低下に拍車をかけ、技術がわからない社員が増えている要因になっています。

それはそれとして、新卒の採用について「コミュニケーション力が高い」学生を採用したいという企業が増えている、なんていう記事を雑誌などで書かれています。

何をもって、コミュニケーション力が高いと判断するかについて、非常に難しいことであります。
逆に問おう。
採用する会社の社員さんは、コミュニケーション力が高いのですか?と。
私は決してそんなことはないと思う。
むしろ、その逆。話ができない人が多いように感じる。

自分の観点からの話ばかりで、わかるように話ができな(しない)人が多いように感じる。
また、意地悪で、わざとわかるように話しない人もいる。
なぜか?自分が若い頃、同じように振舞われたから、というのが理由である。
それが悪いとは言わない。
「自分で感じ取れ」という育て方が日本人古来のやり方であるからである。

とある、剣術の流派で◯代目の師範代は鬼才で、流派最強。
彼を超える剣士は現れないだろう・・・。という話がある。
不思議と、1代目 < 2代目<3代目 ・・・とならないのが、日本の継承のやり方である。
つまり、同じ稽古はするけれども、その稽古に対する意義や、考え方、とらえ方、などきちんと習得できたかどうか?などは個人の資質に依存するのだ。
つまり、「感じ取れ」の境地。
だから、あの技は2代目の◯◯◯しかできなかった・・・などという逸話ができあがるのだ。

しかし、中国は違う。
中国の剣術には、1代目 < 2代目<3代目 ・・・が成り立つ。
なぜなら、後世代の弟子に、自分の哲学、考え方、意義、そのすべてを継承させるためだ。
「感じ取れ」ではなく、「教える」が根づいているわけだ。

「コミュニケーション力が高い学生を募集」というのは、すなわち「感じ取れる人間」を求める、感じ取って、自分で成長し、売上をあげられるようになってくれ。というわけである。
そして、「教える」ってことはしないよ、という意味だと、とらえたほうが良い。

私が新卒で、会社に就職したときも、「自分で勉強しろ」と言われた。
さらに、「自分で勉強しろ」といってもテキストは自前で買え。資格を取れ。
貰っている給料では、難しい、金額をあげてほしい。
→ スキルがない奴に高い給料はやれない。
査定時には「今年の目標を達成できたか? 取得すると言っていた資格は取れてないな」
→ 昇給に値せず。努力が足りない。でもお情けで2000円、給料を上げてやる。

こういう悪循環で、技術者が育たない。いい年齢になっても、それに見合うスキルを確率出来ていないという状況が生まれるのだ。

私も立場上、勉強しなよ?っていうと、「時間がない」よりも、「勉強するお金が無い」と返ってきたときは、胸が痛い思いをした。
今後、また、そういう若者が生み出されるのだろう。

話はそれてしまった。
「感じ取れ」の延長であるが、コミュニケーションにおいても「相手に理解を求める」要素が強いように感じる。
どんな人が、「理解を求めるのだ?」というと、ほとんどの方がそういう意識を潜在的にもっているように感じるのだ。
もちろん、私もそうだ。
お互いに、「理解してくれるだろう〜」と思いながら、話をすると、とても不幸な結果を生むことになる。
私は、大学卒業と同時に、上京した地方出身者である。
自分の感覚で、話をすると、田舎の方であれば通じる話が、東京ではまったく通じないということが多々あった。
これが、仕事の現場でそんなことが多々あり、自分も不幸になったし、話をする相手にも不幸な結果を生んだのだ。
だからといって、1から10まで伝えようとすると、相手も疲れてしまう・・・。
当然、立場の低い、私に問題あり。とされて、コミュニケーションが取れない奴だと決めつけられ、仕事を干されるまでになったのだ。

そこは自分の甘えだったなと反省するしかなかった。
最初の3年は試行錯誤の毎日だった。
今でも、自分の田舎の人間に話をするときのほうが、話を伝えやすいと感じる。
普段は10伝えることを、7、8くらいで話がつながる。
また、さまざまな人と付き合うことによって、「感性」と言っていのだろうか?非常に感受性の高い人間が多いことに気がついた。
そういう土地だったからこそ、甘えてしまったのかもしれない。

同じ日本人同士でも、育った土地が違うだけで、考え方や習慣が違い、ましてやコミュニケーションにも影響する。

これが外交になるとさらに複雑だ。
先月(9月)から、尖閣諸島問題が紙面を飾っているが、先日、中国の方と少し話す機会があった。
彼女も、尖閣諸島は中国のものだと主張した。
しかしながら、「日本の缶詰の工場があった」という事実についても、知っており、それについては「中国が日本に貸していただけである」というのだ。

その話を聞いて、私はある可能性が浮かんだ。
報道によると、尖閣諸島は江戸時代に薩摩藩が無人島であるかどうかを調査し、それを中国に、その旨を確認し、「日本の領土」とした、という歴史があるという。
その証拠に、沖縄には、「中国語で書かれた証印」が存在するという。

しかいながら、その証印、本当に「日本の領土」であると認める旨の内容が書かれているのだろうか?
もしかすると、「貸してやる」と書いてあったりしなのだろうか?

江戸時代、お互いの認識が「国土とする」、と「貸してやる」というズレが今日まで引きずられているとしたら?
考えるとちょっと、怖いですね。

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